山下顕人|BANDE事典

山下顕人


山下 顕人(やました けんと、1993年2月11日)は、FC BANDELIE所属のサッカープレイヤー。福岡県福岡市出身。ポジションは割とどこでもこなせる。

山下顕人

BANDELIE加入後初の公式戦での写真

名前
カタカナヤマシタ ケント
ラテン語YAMASHITA Kento
基本情報
国籍日本
生年月日1993年2月11日
出身地福岡県福岡市
身長176cm
体重64kg
選手情報
在籍チームFC.BANDELIE
ポジションDF
背番号17
利き足
ユース
2008-2011修猷館高校サッカー部
クラブ
20011-2015東京学芸大学蹴球部
2016-2017むさしのFC

 

来歴


生い立ち
福岡県福岡市出身。
真っ黒な肌/異国風な風貌から度々ハーフと間違われる。
最近は間違われすぎて元々ハーフなのではないかと錯乱し始めている。
なお、あだ名はネイマール。スター選手との比較に本人はまんざらでもない。

サッカーとの出会いは幼稚園。
初めは軽い気持ちで始めたものの、どんどんとサッカーにのめりこみ常にボールを触る日々。小学校時代からテクニックはあったもののプレイヤーとしての特徴は乏しく、
唯一強みであった対人守備の能力を買われセンターバックを務めていた。
その後、姪浜中学校に進学。この頃から守備力とテクニックがボランチというポジションに見事にはまり活躍をし出す。3年間不動のボランチとして県大会出場に貢献。
高校進学時は偏差値73を誇る福岡県立修猷館高等学校に進学。
サッカー部の権力は弱くテニスコート3面分くらいの敷地がサッカー部の練習場だった。
引退となってしまった県大会が懸かった1戦では初の途中交代を命じられチームも敗北。
決して満足とは言えない高校サッカー人生を送った。

東京学芸大学蹴球部


失意の高校サッカー人生を送ったため、大学で「最後に本気でサッカーに取り組みたい」との気持ちから、「①関東リーグ所属」「②国立」の軸でサッカー強豪校であった東京学芸大学を進路先として選択。
進学時にビビりすぎて、地元の山での走り込みを極めた結果、テクニックを失い、スピードを手に入れるという、何とも良いのか悪いのか言えない現象に出くわす。その結果サイドハーフ/サイドバックと縁のなかったポジションでプレーをすることになった。
1年時はフィジカルテストやミニゲームを通じ能力を判定されカテゴリが3つあるうち、2番目のBチームから始まるというまずまずの出だしだった。しかし、実践に入るとサッカーIQの低さや重要な局面でのメンタルの弱さが仇となり、ベンチを温める時間が長くなる。さらにこれまでの人生の中で体験しなかった強度の練習を繰り返した結果ケガがちなプレイヤーとなり、3年時にはCチームに降格するという苦難も味わう。
それでも4年時にようやくTOPチームに定着。難しいボールに対するファーストコントロールを極めており、「エンジェルタッチ山下」としてたまに観客を沸かせていた。
初めての関東リーグ出場は1-1での神奈川大学戦の後半30分。1stプレイで現日本代表の伊藤純也選手に股を抜かれて、ファールで止めたことは良い思い出だそう。

プレースタイル


万能型ユーティリティプレイヤー。
CB以外であればどこでもこなせる順応性を持ち、対人守備と裏へ抜け出しを得意とする。
高校時代はパサーとしてのボランチ/トップ下、大学時代は繊細なボールコントロールを持ち味とするサイドアタッカーとして活躍したが、両サイドバックもできるユーティリティプレイヤーに進化。1通りのポジション経験を持ち、どのポジションでも安定したパフォーマンスを発揮する。キャノンシュートを持っているらしいが未だ火を噴いたことはない。

エピソード


「加入のきっかけ」
東京学芸大学の先輩でもある岸幸太郎、新田空馬が所属していることを知っていたため体験参加。当時所属していたむさしのFCよりもレベルの高い環境に身を置きたいとの思いから加入を決めた。

「人生初の街コン」
チームメイトの嫁坂と出会いを求めるべく街コンに参加。6000円を払いいざ臨んだが、嫁坂のノリが思いのほか悪く、一人で孤軍奮闘する羽目に。すごく疲れた1日だった。

所属クラブ


ユース

  • 愛宕少年サッカークラブ
  • 姪浜中学校サッカー部
  • 修猷館高等学校サッカー部
  • 東京学芸大学蹴球部

社会人

  • むさしのFC
  • FC.BANDELIE

関連項目

山下顕人のプロフィール

外部リンク

山下顕人 Facebook